QRコードを活用した商店街マップ ―原宿・穏田(おんでん)商店会視察報告 ―

 東京支部商店街研究会は原宿の穏田商店街を視察した。表参道と明治通りが交差する神宮前交差点から東南方向に広がるのが穏田商店会である。一部では「裏原宿」などと呼ばれているが、もちろん、商店街が自分からそう名乗っているのではない。  
 穏田商店会は原宿に古くからある商店会であるが、新たに設置された商店街案内板は最新式である。佐藤会長にお聞きした。

1. 新しい案内板

 表参道から南に入る渋谷川遊歩道(キャッツウォークなどと呼ぶ人もいる)は穏田商店会のいわばメインストリートである。
  ここにできた穏田商店会の新しい案内板はアクリル樹脂でコーティングされていて実に鮮明である。これを利用して地図上の各商店の名前にはQRコードが印刷されている。携帯電話のバーコード入力機能を使ってコードを読み込むと、各商店への案内が携帯電話の画面に表示される仕掛けになっている。道案内や新商品案内にも使える。URLコードも入力可能なので、各店のHPへも簡単にアクセスできる。HP次第で混雑状況の表示や予約も可能になる。携帯マーケティングはいろいろと提案されているが、自店のURL取り込みを案内板に任せるのは新アイデアである。おまけに、照明用の電源は太陽電池でまかなうという最新技術活用のIT時代にふさわしい案内板である。

2. 元は田舎、東京オリンピックで変容

 穏田は江戸時代のお庭番など、いわゆる忍者を勤めた家の隠し田で、地名も隠田と書いたそうだ。渋谷川を描いた葛飾北斎の版画もある。地下鉄工事で駄目になるまでは良い井戸水の汲める土地であったそうな。
のどかだった原宿は東京オリンピックで変わり始める。オリンピックのあと「コーポ原宿」という当時としては画期的な集合住宅もでき、いわゆるハイソな人たちが集まり始めた。昭和50年代半ばには、かの「竹の子族」が出現、「原宿」は一気に「全国区」になっていく。

3. 急速な発展、銀座を越える

 東京オリンピックから42年、ただの田舎も世界にも名が知られて、原宿、表参道への出店は高級店のステイタスになっている。地価も上がって、実勢価格では銀座を超えているとのこと。
「原宿」というステイタスを得て、広域からの来街者を顧客にする商店が増えた。一方で、地域住民を対象にした商店は減っていて、米屋、酒屋などがわずかに残っているだけである。商店会活動に熱心ではない店も増えて、組織率は50〜60%位で漸減傾向である。

4. 商店街の今後

 原宿一帯には9ツの商店街組織があり、商店街会連合会を形成している。穏田商店会は規模は小さいが原宿で一番古く、中には150年以上続く店もある。戦前から続く近隣型の商店街の良さを、全国区になった「原宿」の中で、ITの時代にも対応して、しっかり生きのびようとしている商店会の姿が、新しい案内板にもうかがえる。

報告者: 小山田哲治










 

テスト